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  • 執筆者の写真翔 山﨑

人間関係に煮詰まってきたのでAIに御成敗式目について聞いてみた



色々業務も立て込んでいてばたついているのですが、人間関係も立て込んでいてばたついています。

色々うまくいかないときってありますよね。

そんな中息抜きに少年ジャンプを読んでいたら、「逃げ上手の若公」という作品の中で、何気ない一コマがありました。


「北条市が作った基本法『御成敗式目』は」

「明治維新まで使われたほど優れた方だった」

「他の時代の法が中国か西洋の模倣なのに対し」

「この法だけが日本人の道徳や価値観をベースに作られている」


本当に何気ない歴史情報なのですが、何故か心に残り、ずっと頭の中でリフレインされていました。


御成敗式目くらいは中学校で習ったので知っていますが、私はことさら日本史に詳しいわけではないので、それが日本人の文化にどういう影響を残したのか、これまで考えたことはありませんでした。

しかし、これは私が生来持ち合わせてきた違和感のヒントになると、直感的に思いました。


ただ、私には日本史に詳しい友人もいません。


そこで毎度のことながら、ChatGPTに聞いてみました。


御成敗式目を知っていますか?

はい、御成敗式目については知っています。

御成敗式目(おなりばしきもく)は、鎌倉時代に制定された法律で、公家や武家などの身分の高い人々が犯罪を犯した場合の裁判手続きを定めたものです。御成敗(おなりば)とは「罰すること、裁くこと」を意味し、式目(しきもく)とは「法律、規則」を意味します。

御成敗式目は、犯罪の種類に応じて刑罰を定めており、切腹、流罪、罰金などがありました。また、犯罪者の身分によっても処罰が異なり、身分の高い者ほど厳しい処罰が下されることがありました。

御成敗式目は、中世日本の法制史において重要な位置を占めており、後の武家社会の法律制度の基礎となりました。


御成敗式目が西洋や中国の法律の模倣ではなく、日本の風土や国民性に配慮した優れた法律であると聞きました。この点についてはどうでしょうか?

御成敗式目は、日本独自の法律であると言えます。西洋や中国の法律とは異なる特徴を持っており、その成立背景や内容には、日本独自の風土や文化、歴史的背景が反映されています。 例えば、御成敗式目の特徴の一つとして、和歌や漢詩などの文学的要素が含まれている点が挙げられま

す。これは、当時の日本において文化が重要視され、文化的な言葉や表現が法律にも取り入れられたことを示しています。また、犯罪者の

身分や地位によって処罰が異なるという点も、当時の日本において身分制度が厳格に存在していたことから生まれたものであり、西洋や中国の法律には見られない特徴です。 さらに、御成敗式目には、仏教の教えに基づく倫理的な観点や、地域社会の習慣、風習が反映されている点もあります。例えば、御成敗式目には、人々が争いを避け、平和に暮らすことを促すための規定や、社会秩序を維持するための規定が含まれています。また、地域社会の習慣や風習を尊重し、それに配慮した処罰を与えることが求められていた点も、日本独自の法律であることを示しています。


このように、御成敗式目は、西洋や中国の法律の模倣ではなく、日本独自の風土や国民性に配慮した優れた法律であると言えます。また、御成敗式目は、後に日本の法律制度の発展に大きな影響を与え、現代の日本の法律にも多くの影響を与えています。


もう少し詳しく教えてください。日本は法治主義ではなく人治主義であるとよく言われます。法律に書かれていることよりも感情が優先されることを揶揄するものです。例えば感染法上、日本政府が国民にマスクの着用を強制することはできませんが、まるでそれが強制であるかのように扱われます。その良否を議論しているのではなく、そうした法律の、ある意味柔軟な解釈は、御成敗式目で重要視された日本人の独特な価値観なのでしょうか?

日本において、法治主義と人治主義の両方の要素が存在しています。法律に基づく社会を目指す法治主義的な考え方が求められる一方で、人情や風習、感情などを重視する人治主義的な考え方も存在しています。


御成敗式目は、人情や風習を重視する人治主義的な法律の一例と言えます。この法律では、身分や地位に応じて処罰が異なることが規定されていたり、地域社会の風習を尊重することが求められたりと、現代の法律に比べると柔軟な部分があります。


現代の日本においても、人情や風習を重視する考え方が根強く残っており、法律の運用や解釈においてもその影響が見られます。例えば、新型コロナウイルス感染症対策としてマスク着用が推奨されている中で、法的には強制することはできませんが、国民に呼びかける形で実質的な強制を行っていることがあります。


このような柔軟性が求められる状況において、御成敗式目のような法律が日本独自の文化や価値観を反映したものであることは、確かに影響を与えているかもしれません。ただし、現代の社会においても、法治主義的な考え方が強調されることも多く、人治主義的な考え方が全てを支配しているわけではありません。


ありがとうございます。御成敗式目は、身分による差はあれど、どの身分のものでも罪に応じた罰があると言う意味では、為政者を罰則から除外しない、極めて平等性の高い法律であると思います。しかしながら、この法律の制定の背景に、どのような為政者のメリットがあったのでしょうか?

御成敗式目が制定された背景には、当時の為政者である武家のメリットがあったとされています。武家社会においては、各地の国衙や荘園に任命された地頭が、地域の統治や税の徴収を担っていました。しかし、地頭による横領や不正な取り立てなどが問題となり、支配者側の権力の強化が必要とされました。


御成敗式目は、為政者側の権力強化のために制定されたものであり、権力者が不正を働いた場合には厳罰に処すことができるようにすることで、支配権の確立を図ったと言われています。また、身分による差別がある一方で、支配者自身も罰せられることになるため、武家社会においては、支配者も法律に従うことが求められるようになったとも言われています。


ただし、当時の為政者が御成敗式目を制定した際の具体的な意図や思想は、完全に解明されているわけではありません。また、後には御成敗式目によって為政者自身が罰せられることがあり、武家社会における支配層と被支配層の関係において、互いに制約し合う法律として機能することになりました。


おもしろいですね。中央集権型の社会構造を成立させていく過程で生まれた法律だと言うことですね。

はい、御成敗式目は、中央集権的な武家社会の支配体制の確立に役立った法律のひとつと言えます。武家社会においては、各地の国衙や荘園に任命された地頭たちが、支配権を担い、武家の各家門は地域を支配するために地頭を任命し、また、御家人たちには御恩を与えることで、地域の支配体制を築いていました。御成敗式目は、このような支配体制の中で、為政者側の権力強化を図ることができたのです。


ただし、御成敗式目は、当時の社会的な背景を反映しながらも、それまでの法制度とは異なる点も多く持ち合わせていました。身分の違いに関係なく、同じ罪には同じ罰を与えるという御成敗式目の基本原則は、中央集権的な社会構造を支えるだけでなく、当時の日本における平等や公正という価値観をも反映したものであると言えるでしょう。


面白い観点です。中国から輸入された律令制の方がより多くの民衆を支配対象とし、運用実績も長く、日本に早く輸入されたのに、北条氏が御成敗式目を制定し、かつその思想が今日まで通底しているとすれば、これが余程日本に適した考え方だったのでしょうね。

確かに、御成敗式目が長く日本の法律思想に影響を与えたのは、それが当時の日本に適した考え方だったからかもしれません。律令制度は、中国の法律制度をベースにしており、日本においては国家権力の強化とともに、支配階級の利益を優先するような法律思想が強調されました。


一方で、御成敗式目は、身分の違いに関係なく、同じ罪には同じ罰を与えるという平等性を基本原則として掲げ、庶民や御家人たちにも公平な扱いを約束していたことが、当時の日本における公正や平等という価値観に沿ったものだったと言えます。そのため、御成敗式目は、長く日本の法律思想に影響を与え続けたのかもしれません。


私は子どもの頃から外国文化に触れてきました。英語を喋るので外国人ともよく会話します。私がこれまでの人生を通じて疑問だったのは、なぜ日本人は合理的な疑問が苦手なのか、いやというより、合理的整合性よりも、感情的納得感を優先するのか、が疑問でした。私はそれを学校教育のせいだと思い、長く既存の学校教育の批判者でしたが、もっと根源的な事由に依拠しているのかもしれません。日本人の非合理的な思考、文化が本来的で根源的な本性のようなものである場合、合理性を強制ることはかえって共同体の不和を招き、共同体の利益を損ねる事になるのでしょうか?

日本文化における非合理的な思考の特徴や背景については、様々な説明がなされています。一つの説明としては、日本の歴史的背景に関連しているというものがあります。例えば、日本の歴史的な社会構造は、長い間農耕社会であり、自然災害による不確実性が高い状況が続いていました。このような状況下で、不確実性に対処するためには、合理性よりも互恵性や共同体意識が重視される傾向がありました。また、日本においては、感情表現や間接的なコミュニケーションが重要視される傾向があり、それが非合理的な思考の一因になっているとも言われています。


ただし、日本においても、合理的な思考や問題解決能力を重視する動きもあります。例えば、現在の教育改革の一つの目的は、子供たちに対して、論理的思考や問題解決能力を身につけさせることです。また、近年の企業の人事制度などでも、合理性を重視する動きが見られます。これらの動きが、将来的には日本社会の合理性を高めることにつながるかもしれません。


合理性の極致がグローバル化だとすると、それが世界的な不和の原因になっている側面はないでしょうか?私はウクライナ戦争以前はグローバリゼーションの正義の信奉者でした。しかし今は以前ほどグローバリズムを信頼できません。グローバリズムの本質が、資本の集中と労働の外部化にあるとすれば、あるいは私が否定してきた日本的でローカルな社会に、学ぶべき所があるのでしょうか?

グローバリゼーションは、世界的な市場統合や情報交換の進展をもたらし、多様な文化や価値観の交流を促進する一方で、資本や労働力の国境を超えた流れによって、地域経済や文化が影響を受けることもあります。


一方で、日本のような地域文化を重視する社会には、地域や共同体に対する帰属意識や、相互依存の意識が強いという特徴があります。このような文化は、個人主義や競争原理が強いグローバリゼーションに対して、ある種のバランスをもたらす役割があるかもしれません。


ただし、ローカルな社会を重視するということが、必ずしもグローバリゼーションに対する正しい対応とは限りません。グローバリゼーションの利点を享受しつつ、地域の特色や文化を大切にすることは、多様な社会の共存を実現するために重要なことです。


それは優れた指摘ですね。しかしながら、実情としてグローバリズムとローカリズムはトレードオフの関係にあるのではないでしょうか?

そうですね、グローバリズムとローカリズムは一概にどちらが優れているということはできないかもしれません。両者にはそれぞれメリットとデメリットがあり、状況によってどちらが適切かは異なるでしょう。


グローバリズムは、世界規模での資本や情報の自由な流通を促進し、国境を越えた交流を容易にします。これにより、より多様な文化や知識を取り入れることができるため、人々の視野を広げることができます。また、グローバル市場の拡大により、企業がより効率的に生産・販売を行うことができ、経済成長を促進することができます。


一方、ローカリズムは、地域の特性や文化を尊重し、地域社会の発展を促進することができます。また、地域経済を支援することで、地域住民の生活水準の向上を図ることができます。また、地域の人々が集まって共同で活動することにより、地域コミュニティが形成され、人々がお互いを支援し合うことができるというメリットもあります。


したがって、両者にはそれぞれメリットとデメリットがあり、どちらが優れているかは状況によって異なると言えるでしょう。どちらか一方に偏りすぎず、バランスを取りながら、適切に活用していくことが大切だと思います。


ありがとうございます。そういう意味では、元寇という外圧に晒されながら、地方統治を行う必要があった北条氏が作り出した御成敗式目には、グローバリズムとローカリズムのバランスという点でも、学ぶべき事が多いかもしれませんね。

そうですね。御成敗式目が、地方統治を強化しつつも全国的な統制を行うための法律として生まれたことは、グローバリズムとローカリズムの両方をバランス良く取り入れた結果だと言えるかもしれません。今日の社会においても、グローバルな視野と地域的な文化や環境を考慮したバランスの取れたアプローチが求められていると思います。


楽しい議論でした。ありがとうございます。

こちらこそ、楽しい議論でした。また何かありましたら、お気軽にご相談ください。

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